ハムレットマシーン寄稿_02
LOGOTyPE プロデュース#4 『ハムレットマシーン』上演に寄せて
真壁茂夫 (OM-2 演出家、元d-倉庫代表)
「IDIOT SAVANT theater company」は、アングラだ。
アングラと言えば、最もイメージされるのは 1960 年代か らの「寺山修司の天井桟敷」と「唐十郎の状況劇場」や舞踏の「土方巽のアスベスト館」だ。現在の「小劇場」の礎になったのも、この時代に創られた。「天井桟敷」は、狭い空間で実験し続け、また劇場空間を飛び出し「街」全体を劇場と変化させた。「状況劇場」は、自分たちのテントを建て、街の猥雑さや騒音なども引き寄せ演劇と街を一体化させた。「アスベスト館」は、それまでのダンスには思いも付かない醜い振りや新たな思想を産み出した。それ以降、多くの劇団が劇場許可を得ていない小さな喫茶店や、野外、地下空間などで公演を行うようになった。それは、それまでの市民ホールなどを会場にしてきた「新劇」時代からの脱却、または戦後の高度成長と共に一層の締め付けを強くしてきた建築法や消防法などからの脱却(願望)であった。 また、それまでのリアリズム的演技を基礎とするメソッドへの反乱でもあった。例えば、老人の役ならば若い人の 60%くらいの歩幅で、速度も何秒を要することなどのやり方があった。そしてそれを器用にこなすことが上手い俳優とされた。舞踊も、バレエなどの内容を伴わないテクニックを優位に立たせ、基本の振りの出所は上記した演技の在り方と変わりなかった。そんな馬鹿らしい窮屈な演技などに対して、否を唱えたのがアングラだった。
だが、その小劇場ブームも 80 年代前半までのピーク後、また寺山修司の死後(1983 年)、経済が高度成長化する と共に徐々に衰退していく。日常生活の延長上にある明るくて清潔でファストなものが好まれるようになり、汚いものや苦しみを伴うもの、緩慢、反旗するものなどを嫌い、人間の暗くて醜い部分を覆い隠すようになる。きれいな服を着て、清潔な家に棲みたがり、高級な車に乗りたいと望み、自分の本性を覆い隠す。自分は醜い部分などとは無縁であるかのような顔をして...。その反面、承認欲求を増大させ、ひたすら「私は幸せ」感をアピールする。これは、日常生活の中での抑圧を屈折させた現れであり、利己主義の強靭なものであるように思うのだ。今や、小劇団の舞台のほとんども、その承認欲求を満たすための道具でしかなくなってしまった。友達に「私はこんなに楽しんでハッピーなんだ」とアピールする。そのために、小劇場の舞台を観に行っても、保守的で表面的な薄いものしか見れなくなってしまった。多くの人に認められるには、保守的なやり方に則る方が容易いからだ。だがそれは、誰しもが常日頃に見ているものだから、わざわざお金を支払わせて劇場で観せる必要もない演技と思ってしまうのだが...。そんな腐った現在の小劇場界の中で、「IDIOT SAVANT theater company」は、人間の生理的な限界を越える 12 時間の公演を行ったり、汚い廃映画館や寺院などでも積極的に公演を行ってきた。また、ファスト感などを無視し、人間の奥深くを抉ろうとする。そうイメージさせるのは、主演女優である朱尾尚生氏の舞台の立ち方が大きいだろう。
長い髪を振り乱し気の狂ったように叫び続ける立ち方は、人間が内包する在り方を部分爆発させ、表出しようとする。観客は、狂ったような「演技」を観るのではなく、目の前にいる狂ったひとりの人間を目の当たりにすることになる。演出家の恒十絲氏も、朱尾氏という人間の本来の生きる姿を観たいと闘っているに違いない。その眼差しはその一点に向けられている。60 年代のからのアングラの重荷を背負いながら、それでいてなおもその先を探り、人間の奥深くに切り込もうとする。その情熱は、いつも熱い。これからも、社会に媚びずに突き進んで欲しい。そして、現在の若い人たちに、「キレイじゃない」「楽しくない」などの理由で拒絶するのではなく、何故、彼らが一般的な表現ではなくあのような舞台を必死に創るのかを、自分自身の中にその理由を見出して欲しいと思うのだ。そして、今だからこそ「IDIOT SAVANT theater company」との接点を発見し、見詰めて、自分の生き方の方向を決めて欲しいと願う。