ハムレットマシーン寄稿_01

LOGOTyPE プロデュース#4 『ハムレットマシーン』上演に寄せて

新野守広(演劇批評家)

IDIOT SAVANT theater company『ハムレットマシーン』の再演を待ち望む

 

イディオ・サヴァンのパフォーマー動きは激しい。床を這い、唸り、叫び、舞い、複雑な振り付けを集団で踊る。象形文字を思わせる体技に重点が置かれるそのパフォーマンスは、ときに観客を突き放す印象を与えることもあるが、技法の独自性を見逃すことはできない。彼らは、祈る気持ちをのせて語る言葉が演劇の大きな要素であると考え、それを 体現する心身の技法を追究してきた。イディオ・サヴァンの特色は、祈汎誦(きはんしょう)と彼ら自身が名付けた訓練で鍛えられたパフォーマーたちが、カンパニーを主宰する恒十絲の紡ぎ出す詩的な言葉を得て、舞台に投影されるさまざまな映像との関係を模索しながら実験的な作品を作り上げるところにある。このカンパニーにはすでに長い活動歴があるので、ここでは以下の三点のみを指摘して 推薦文としたい。

まず彼らの本領は、なんといっても、オリジナルの創作で発揮される。たとえば私は 2016 年 2 月の公演『手で触れられるくらいの鈍い空と 遠くに聴こえる潮音を哀しみが示すのならばかもめの眼ざしが飛びつかれてしまうまで 海が泣きだすなんて知らなかったんだ』(なんと長い題名!) の舞台に接して、心の鎧が溶けるような感動を覚えた。これは東日本大震災で亡くなった東北の死者たちに捧げられた舞台だったが、祈る気持ちを体の芯に据えたパフォーマーたちが唸り、叫び、激しく動き、踊るたびに、生き残った私たちを死者から隔てる越えがたい境が一瞬消え去るような、虚構ならではのすぐれた感覚を得ることができた。現地で撮影された映像の効果も大きかった。2013 年 5 月末に公演された『いのちづたひ』は、19 時にはじまり、終演したのは翌朝 7 時だった。これを 4 日間連続して 4 ステージ行ったメンバーの気力/体力と、それを支える実験精神は特筆に値する。次に指摘したいのは、自らの技法に閉じこもらず、外に向けて自らを開こうとする積極性である。2016 年にはパリ公演を敢行したばかりか、海外のカンパニーとの共同作業を試み、2020 年 2 月の『砂の家』と 2021 年 7 月の『あきる野』ではオーストラリアとニュージーランドのカンパニーとの共同制作を実現させた。生活習慣も文化的伝統も異なる海外 アーティストたちとの共同制作は、自身の活動やモチーフを見つめ直すきっかけにもなっている。新しい可能性に向けての今後の飛躍が期待される。最後に、既成の戯曲に挑戦する姿勢を指摘したい。たとえば彼らは die pratze が主催した 現代劇作家シリーズに参加し、サルトル作『出口なし』(2015 年 4 月)、別役実『正午の伝説』(2017 年 5 月)、ハイナー・ミュラー作『ハムレットマシーン』(2018 年 4 月)を上演した。評価の定まった劇作家の戯曲上演という、いわば他流試合を通して、自分たちの力量を試す気構えは高く評価されよう。祈りは取り返しのつかない過去への苦い思いを喚起する。貧富の格差のない平等な社会 の実現をめざして 19 世紀後半から 20 世紀前半の世界を動かした理念は、冷戦とその崩壊の中で変質し、20 世紀が終わるとともに失われた。ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』は、シェイクス ピアの『ハムレット』を下敷きにしつつ、東ヨーロッパに おける理念の死を象徴的に描いている。生者と死者の境を演劇的に追究しつづけてきたイディオ・サヴァンが 2018年に上演した『ハムレットマシーン』は、さまざまな格差 に直面する私たちが前世紀に失った大切な理念を悼む儀式 となった。コロナ禍を経験し、この社会と世界の未来を考えざるを得ない今、その再演が待ち望まれる。

 

Today's Schedule